第一学院京都校にて、「スマホ時代に君たちはどう生きるか?」というテーマで授業を行いました!

2026年5月15日、第一学院京都校にて、関西中高まなびプロジェクトの一環として「スマホ時代に君たちはどう生きるか?」をテーマにした授業を実施しました。スマートフォンが生活に欠かせないものとなったいま、その使い方を立ち止まって見つめなおす時間は、なかなか持てないものです。この授業では、高校生のみなさんと一緒に、自分とスマホとの距離をていねいに見つめ、「では、どう生きるか」を考えました。

授業の目的──「スマホをやめよう」ではなく、「どう生きるか」を問う

この授業が目指したのは、「スマホは悪いものだからやめよう」という、単なる説教ではありません。

出発点に置いたのは、スマホとともにある毎日をふりかえり、「自分はいま、スマホに流されてはいないだろうか」と問いなおすことでした。みんながやっているから、なんとなく──そうして無自覚に時間を費やしてしまう日常のなかで、見えなくなりがちな「自分」を、もういちど自分の手にとりもどす。哲学を入り口にしながら、生徒一人ひとりが「自分らしい時間の使い方」「自分らしい生き方」を考えるためのきっかけづくりをめざしました。

授業の様子──「流される自分」に気づき、「自分」をとりもどす

当日は、導入として、こども家庭庁の調査結果を提示しました。インターネットを利用する青少年の一日あたりの平均利用時間は約5時間27分、高校生にいたっては約6時間44分にものぼります。生徒たちは自分のスクリーンタイムを実際に確認し、その数字を“自分ごと”として受けとめるところから始めました。

つづくワークでは、「昨日の自分」を観察します。昨日のスマホの使い方には「意味があった」のか、それとも「なかった」のか。表に書き出し、ふりかえりました。さらに、短編映像『I Forgot My Phone』を鑑賞。スマホに気をとられて目の前のひとや出来事を見過ごしてしまう人びとを描いたこの映像に、生徒たちは自分自身の姿を重ね、「自分が流されている場面はどこか」を語りあいました。

そして授業の核心では、哲学者ハイデガーの『存在と時間』を手がかりに、「スマホに流されていない状態とは何か」を考えました。「みんながやっているから」と世間(=〈ひと〉)に流されて「自分」が消えていく状態と、自分にあたえられた有限な時間を、自分のものとして引き受けている状態。むずかしい言葉ですが、過去をふりかえることをとおして「自分の固有性」に気づく、という視点は、生徒たちにとってあたらしい発見になったようでした。

生徒たちの声

今回の授業に参加してくれたのは、合わせて10名の生徒さんたちでした。

参加してくださった生徒さんからは、

「今のスマホ社会で、自分らしさを出すためにはどのような考えが必要なのか考えることができた」

「スマホはいい影響もあるし悪い影響もあるので程々にしようと思った」

「非常にフレンドリーな方で、グループワークの様子を伺って話に入ってきて、新たな意見を自分達に伝えてくださったりでとても面白かったです!」

「スマホの使い方について、改めて考えさせられました。今後は計画をたてて使えるようにしたいです。また、依存先を増やしていきたいです*。」
*これは、授業で紹介した、熊谷晋一郎氏の「自立とは依存先を増やすことである」ということです。

といった声が寄せられました。これらの声からは、スマホとの関係をそれぞれの仕方で見つめなおし、「自分らしさ」やこれからの付き合い方を、自分の言葉で考えはじめてくれたことが伝わってきます。

今後の展望

スマホとの付き合い方に、たったひとつの正解はありません。だからこそ、誰かに答えを与えてもらうのではなく、自分自身で問いつづけ、自分なりの納得解を導き出す力こそが、これからの時代を生きる支えになるはずです。

そしてそれは、ひとりきりで抱えこむことではありません。授業でふれたように、頼れる先を増やしていくこと。スマホとも、まわりのひととも、そして自分自身とも、すこやかな距離で付き合っていくこと。そんな「どう生きるか」のヒントを、生徒のみなさんがそれぞれに持ち帰ってくれていたら、嬉しく思います。


私たちはこれからも、生徒一人ひとりが「自分らしさ」を見つめ、自分の手で人生を選びとっていけるような学びの場を、届けつづけていきます。

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