【災害と教育事業部 わたげプロジェクト】南相馬市学習支援事業~フィールドワーク編~

こんにちは!ROJE関西の桑田です。

2020年1月4日~7日に、NPO法人ROJE「災害と教育事業部」のメンバーが福島県南相馬市で合宿を行ってきました!

学習支援やフィールドワーク、防災グッズづくり企画を実施し、南相馬について様々な学びを得た今回の合宿。その様子を、全2回にわたってお送りします。

2回目の報告記事となる今回は、「フィールドワーク編」です。

合宿中は、双葉郡浪江町を回ったり、「南相馬市消防・防災センター」や「みなみそうま復興大学」を訪問して、東日本大震災にまつわる様々なお話を伺いました。また、合宿中には一部のメンバーによる外部団体主催の原発ツアーの報告会も開催されました。そんな学びが盛りだくさんだった「フィールドワーク編」を、各テーマに沿ってお送りします。

 

①双葉郡浪江町

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、福島県に甚大な被害をもたらしました。双葉郡では、福島第一原子力発電所の事故により、非常に多くの住民の方々が全国各地に避難することを余儀なくされました。2017年3月31日に全域避難指示が解除されてからも、まだまだ帰宅困難区域に指定され人が居住できない地域も多くあります。

今回の訪問では、車に乗りながら浪江町を周っていきました。車窓から眺める浪江町の景色は、「以前まで人が住んでいた跡があるのに、人がいない」という不思議なものであり、復旧・復興までの道のりの険しさを感じさせました。

また、車から降りて、実際に震災遺構を見に行ったりもしました。

今回訪れたのは浪江町立・請戸(うけど)小学校。震災時に津波による甚大な被害を受けながらも、校舎にいた生徒約80名は先生の指示で高台に避難し全員無事だった学校です。

請戸小学校は今も、時の流れが止まったまま

 

請戸小学校は現在でも、「臨時の休み」の状態が続いています。震災発生時の時刻を指したまま止まってしまった時計や、痛ましいほど荒れ果てた教室の様子を眺めながら、東日本大震災の衝撃を実感しました。

そして、その中でも先生と子どもたち全員が生き抜いたことにも、改めて驚かされました。請戸小学校にはどんな防災意識が共有されていたのか、私たちが学び伝えていかなければならないと感じました。

 

②南相馬市消防・防災センター

消防・防災センターにいったメンバーは、センターの職員さんに案内され、3.11当時のことを学びました。入って早々、津波の高さを記された柱を見て、「津波がとても高いことはわかっていたけど、ここまでなんて…」と、改めて津波の脅威に目を奪われました。

記録が物語る、震災当時の津波の凄まじさ

 

さらに、センターに展示された写真を見ながら、職員さんの原発事故当時のエピソードを聞かせていただくことになりました。「この状況がいつまで続くのだろう」という先の見えない恐怖にかられたことや、町民全体が一斉避難を余儀なくされる中で、高齢の親族の方は「自分は残る」と告げられどうしていいかわからなかったというお話を聞き、身につまされる思いでした。職員さんから「原発…(使い続けるべきか、即刻廃炉にするべきか)どう思う?」という質問を投げかけられ、言葉が出ずに考え込んでしまう学生の姿も。「原発」がどんなに難しいテーマでも、自分たちの世代の問いとして、当事者意識をもって向き合いたい。そんな思いに駆られる時間になりました。

 

③みなみそうま復興大学

みなみそうま復興大学は、大学がない南相馬市に大学等の外部機関の人たちを受け入れて地元の住民・企業・団体などと繋ぐことにより、南相馬市の関係人口を増加させ「地域力」の向上を目指す取り組みをしておられる「大いなる学び(=大学)」の場です。ROJEの災害と教育事業部に属する「つぼみプロジェクト」「わたげプロジェクト」の被災地での活動を長きにわたってバックアップしていただいている機関でもあります。

今回の訪問の際には、改めて復興大学を見学させていただき、南相馬市に関する統計データや関わっている他の外部団体の活動に目を配りながら、様々な気付きを得ることができました。地域の雇用と人口の関係など、データを見たり職員さんから話を聞いて衝撃を受けるメンバーもちらほら。「町の復興のためには、人が必要」。そんな、シンプルだけれど核心的な事実を突き付けられ、被災地外から来ている自分たちが被災地のために、この町の人たちのためにできることは何だろうかと、改めて考えさせられました。

 

④原発ツアー報告会

合宿の4日目の夜には、東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)主催「1泊2日の福島沿岸ツアー」に参加してきたメンバーによる報告会が行われました。多くのメンバーにとって、原発がもたらした被害については本や現地の人たちから学ぶことはあっても、「原発それ自体」についてはなかなかじっくり学ぶ機会はなく、報告を聞きながら驚きの連続でした。

これまであまり原発についてしらなかったメンバーも、じっくり考えを深める機会になりました

 

原発の仕組みや廃炉の状況を詳しく知る中で、廃炉作業が終了するまで後何十年、何百年とかかるかわからないこと、廃炉作業の過程で発見された物質は最先端の科学の知見を用いても今だ解明できていない点が多いことなど、様々な事実にいろいろと考えさせられた様子でした。「本当に原発に頼ってしまっていいのだろうか。その責任を、自分たちは引き受けることができるのだろうか。」そんな課題意識を突き付けられる時間となりました。

 

最後に

防災グッズづくり&学習支援と並行して、南相馬市の様々な場所を訪れて多くの学びを得た今回の合宿。南相馬市を訪問したのは今回が2回目、3回目…となっているメンバーもいましたが、これまでとは全く違う発見や気付きを経験することができました。それもそのはず、「被災地」であるかどうかに関係なく、町やそこで生きる人たちは、時間の巡りとともに絶えず変わり続けていくものです。地理的には変わらない南相馬市も、数か月後に訪れた際にはまた違った姿になって私たちを迎え入れてくれます。今回、現地の方の生の声を聞きながら、メンバーは改めて震災当時の深刻な状況やそれが今に遺した爪痕に思いを馳せていきました。このリアルな学びを関東・関西に持ち帰り、それぞれがプロジェクト活動という形で災害と向き合っていきたいと思います。

 

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