こんにちは、つぼみプロジェクトです。
先日、福島県での3日間のボランティアの一環として、双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館と、震災遺構浪江町立請戸小学校を訪れました。今日はそのレポートをお届けします。

東日本大震災・原子力災害伝承館
ボランティア1日目の2025年8月6日、奇しくも私たちが「原子力」という脅威を忘れないためのこの日に、東日本大震災・原子力災害伝承館を訪れました。
この伝承館が位置する双葉町は、東日本大震災の発生時、津波や原子力災害で大きな被害を受け、今も大部分が帰還困難区域に指定されています。
このような状況下にある双葉町では、私たちが訪れた伝承館を中心に真新しい建物が点在しており、この伝承館が双葉地域の復興の象徴であるように感じられました。
伝承館内の展示は、災害発生時の臨場感を感じる展示が特に多く、螺旋スロープの壁面写真展示では、地震の発生から津波警報の発令、津波の到達、さらに原子炉の水素爆発から避難指示の発令を時系列順に追体験しているようで、当時の切迫した状況がひしひしと伝わってきました。
被災した方々へのインタビューからは、被災者一人一人の人生の中で「東日本大震災」という出来事がどのような意味を持つのか、その生の声を知ることができ、震災が人生にもたらす影響の大きさを再認識しました。
また、東北地域の津波到達直後の映像や、津波被害により街の大部分が水没した写真など、震災による爪痕が残るままの東北地域の姿を知りました。
伝承館には、災害そのものの姿を伝える展示だけでなく、災害から立ち直り未来に向かって歩もうとする復興の姿を伝える展示も多くありました。
震災発生直後に残された手書きの復興計画書からは、大きな絶望の中でも希望を持ち歩き始める、当時の人々の尊い意思を感じました。
また、震災当時の絶望的な状況の中、手を差し伸べてくれた国々に関しての当時のニュースも館内で放映されていました。ボランティアで炊き出しを行ったベトナムの方々や、「トモダチ作戦」と称して救助活動にあたったアメリカ軍など、国際社会における日本の立ち位置を再認識するとともに、このときの日本と他の国々との絆を決して忘れてはいけないと強く感じました。
このような福島の復興の歩みは、これまでの福島だけでなく、これからの福島を考える上でとても貴重な経験となりました。
館内3階には、「海のテラス」と呼ばれる展望デッキがありました。眼前には、あの日私たちに猛威を振るった太平洋が、あの日とは違う美しい姿で湛えており、自然という存在の残酷な両面性を肌で感じました。
「海のテラス」からは、海だけでなく、双葉町を見下ろす山々や、その背景に広がる高く青い空も臨むことができ、双葉町と共存する自然の姿に心が洗われました。

震災遺構 浪江町立請戸小学校
最終日には、福島県浪江町にある震災遺構「請戸小学校」を訪れました。この学校は津波によって大きな被害を受けながらも倒壊は免れ、児童・教職員全員が無事に避難できたことから「奇跡の学校」とも呼ばれています。

実際に校舎の中を歩いてみると、破壊された壁や天井、床が大きくゆがんだ体育館、津波の到達時刻で止まった時計など、当時の被害を目の前にして言葉を失いました。
写真や映像で見るのとは違い、その場の空気に触れることで、津波の恐ろしさや脅威を改めて実感しました。

同時に、見学経路に沿って当時の避難の様子が描かれており、先生方の迅速な判断、そして地域の人々の協力があったからこそ全員の命が守られたのだと知り、胸が熱くなり、「避難の大切さ」を強く学ぶことができました。
2階には震災直後の航空映像や、当時の自衛隊や支援者からの応援メッセージが黒板に残されていました。特に印象的だったのは、震災当時に児童だった方々が震災から10年後に書いた言葉です。
今も避難先で暮らす人、地元に戻った人とそれぞれ生活は変わっていても、ふるさと請戸への思いは一様に熱く、「同級生に会いたい」「自分も頑張る」といった力強いメッセージからは、仲間や地域への深い絆を感じました。
また、震災前後の浪江の様子を語る地元の方々のインタビュー映像からは、復興に向けて前を向く強さと、故郷を大切に思う気持ちがひしひしと伝わってきました。
震災から10年以上が経ち、今交流している小学生たちの多くは震災を知らない世代です。
だからこそ、南相馬の人々と関わる私たちは、震災の記憶や教訓を学び続け、それを自分の言葉で次の世代に伝えていく責任があると強く感じました。

