来場者からゲストへの質問回答


《参加者からの質問》

かんふぉ13

Q.先日の関西教育フォーラム、大変有意義なものとなりました。

ありがとうございました。

鈴木寛先生がおっしゃっていた通り、「人の居住」のグローバル化が進んでいる現代において、日本人が、他国の文化を持ちながら日本に住んでいる人々と共生していくには、どうすればよいとお考えでしょうか。

自由の相互承認ができる人材を育成することは、そのひとつであると思います。しかし、違う文化を持っている人と過ごしていく中で、認めようと頭では思っていても生理的に嫌悪感を持つことは、少なくないと思います。例えば、日本ではよく中国人は約束を破るといいます。このことは、中国の文化を知れば理解することができますが、私たち日本人は、頭で理解してはいるものの生理的な不快感を感じてしまいます。

このような問題を乗り越えて、多文化共存していくためには、どうすればよいとお考えでしょうか。

◎鈴木先生

A-1 多文化共存していくためには(鈴木寛先生)

  1. 生理的不快感を乗り越えて多文化を共存していくためにはどうすれば良いでしょうか。

政府のグローバル人材育成円卓会議では、15歳から25歳くらいまで多文化の中で暮らし学ぶということを、出来れば何度も経験すべきということを議論しました。若いうちに異文化の人と暮らすことで生理的不快感にも慣れてきます。また、不快感を持った時にきちんと理由をただすという中で、不快を不快なままにせずに学びのとすることが重要です。つまり「習うより慣れろ」ということだと思います。身体性を非常に重視しているのはそういう意味でもあります。

 

◎苫野先生

A.嫌悪感が生まれる背景には、お互いをあまり知らないから、交流することがないから、ということがしばしばあると思います。だから、とにもかくにも、何らかの仕方で交流する機会が増えればいいなと思います。

長らく、「異文化・異世代教育環境」をつくりたいと考えてきました。同文化・同世代ばかりが集まる学校を、もっと多世代・多文化に開いていきたいと。幼稚園、小学校、日本語学校、大学生コミュニティ、老人ホームなど、さまざまな文化が当たり前のように共存している教育環境があれば、面白いなと思っています。

ただ同時に、いつも密な交流を「強いられる」こともまた、相互嫌悪を助長する要因になってしまいます。なので、人間関係の流動性を十分担保することが必要です。ニーチェは「愛せない場合は通りすぎよ」と言っていますが、争いになるくらいなら「通り過ぎる」ことができる環境を作る必要があると思います。

というわけで、「相互交流のしかけをもっと作る」、そして、「お互いに離れられるしかけも作る」ことが重要かと思います。

 

Q.今後の小学校の外国語活動(英語科(?))について「グローバル化」と関連してどうあるべきか教えてください。

◎鈴木先生

A.文部科学省においても「語学力」というものを再定義していて、その中に外国語を使って外国人との異文化コミュニケーションを躊躇しないという態度・マインドというものを入れています。そういった意味では、小学校の時には、文法的・語彙的に正しい外国語を話すというよりも、身振り手振りを含めながら五感をフルに使って、外国の人と意思疎通をする機会を多くすることが大切です。それをすることによって、子どもたちに「外国の人・異文化の人とコミュニケーションできた」という成功体験をできるだけ多く積ませてあげる努力をすることが重要です。

 

◎苫野先生

A.小学校の外国語活動・学習は、異文化を知り、異文化との「相互承認」の感度をはぐくむ機会である、というのが、本質的な位置づけではないかと思います。

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