【取材】 若槻健先生


_関西教育フォーラム2015の感想をお聞かせください。

 

よかったです。フロアの方の反応が、顏を見ていても、興味を持って聞いてもらえたかなと思います。

結果的にかもしれないですが、3人話して、まとまりがよかったかなということは思いました。隂山先生の大きな話で、西矢先生の具体の話で、僕はつなぎができたかなと思うので、聞いている人には何か思って帰ってもらえたかなと思います。

 

_先生のご講演の中でメリトクラシーという言葉がありましたが、詳しくはどういうことでしょうか?

 

メリトクラシー(和訳:業績主義、能力主義)のもとに、学校教育が、建前上行われているということですね。日本というよりは世界的にそうで、親の仕事を継ぐとかそういうことではなくなった今の時代においては、学校教育を通じてどんな仕事に就くかとか、社会のどんなポジションを占めるかということが自分で決められる世の中になっています。

 

それは日本だけのことではなくて、そこで今、教育の役割の一つで「配分」ということが言われています。学校でつけた力によって「勉強ができた子はここ」と、割り振りしていく役割を学校は持っているということが言われているんです。

 

このメリトクラシーは確かにそうなんですが、「配分するときの能力、その子が持っている力に、親の影響力がとても強くなっている」というふうに考えるのがペアレントクラシーです。これは、メリトクラシーの変型版かなと思います。結局実力主義なんですよ。実力主義の社会ではあるけれども、その実力のバックには本人の努力とか、その子の生まれ持っての才能だけではなくて、親の働きかけがその業績に影響を与えている、ということですね。

_それは、時代の変化によって職の選択の自由が始まり、その状況に対応するために、実力主義がでてきたということでしょうか。

 

そういうことでしょうね。身分差などもなくなってきて、ということです。

 

_そこでメリトクラシーの教育が始まるということですか?

 

そうです。身分社会は必ずしもみんなが通う学校にはありません。身分社会では、武士の学校は武士の学校、町人の学校は町人の学校とあって、それは町人が町人になるための学校ですし、武士が武士になるための学校で藩校というものがあったりします。

 

そうではなく、一般の国民学校ができるのが、日本でいえば明治以降ですし、そのときに、メリトクラシーができた、という考え方ですね。

 

 

_「学校の外部とのコミュニケーションが大事」という話がありましたが、具体的なコミュニケーションの取り方にはどのようなものがありますか。

フォーラムでは、話をしたい親御さんが学校に来てくれない、という例もありましたね。

 

実際行われているのは、家庭訪問ですね。子どもの生活を知るという意味もありますが、実際に足を運んで、「学校がこんなに子どものことを心配している」ということを、保護者に伝えていくというのが、一番いいと思います。顔を合わせるだけで違うので。学校に親を呼び出しても来ないことがあるし、来ても親は怒られに来ているという感じになってしまうので、多くの力のある学校は家庭訪問をちゃんとされていると思いますね。春の家庭訪問だけではなくて、何かあるごとに行かれています。

 

あとは、味方ということですよね。親と友達になることだと思います。

例えば、外国人ルーツの子どもなどでよくやるのは、中国籍の子どもなら、(親にも)学校に来て餃子をつくってもらうなどして、活躍の場を設けます。親も、周りが日本人で日本語が話せないというときに、そうやって何か活躍の場をもらうとうれしいと思います。調理実習に来てもらうなどもします。

 

また、校区のお祭りでお店を出すときに、水餃子の店を出すなどして、そういった保護者を元気づける場所を作っている学校も、ありますね。

 

_お祭りや料理も通して保護者と関わっていくということですね?

 

そうですね。保護者同士のつながりを作るお手伝いをする、という場合もあります。

ただ、「この方法がいい」といってすることはあまりなく、その学校でできそうなことやってみて、うまくいくかいかないか、だめだったら違うことをやろう、ということだと思います。

 

_日本の先生が今とても忙しいというデータがありましたが、忙しい中でさらに保護者との連携をはかっていこうとする上で、必要なことは何でしょうか?

 

本当は、教員が多いのが一番いいと思います。結局、家庭訪問などはしなくても済むのですが、心ある先生が行い、その分だけしんどくなってしまいます。体力的にもきついし、授業の準備もできなくなってしまいます。

 

それで、隂山先生も出されていた国際教員調査などで、日本の先生がはたらきすぎている、というデータが出ることになります。日本の先生は、とても熱意をもって、子どものためにやりすぎるところはあると思いますね。その負担を減らすためにも、みんなで一緒にやった方が気持ち的にも楽なのでは、と思います。

 

_「みんな一緒に」というのは、学校全体で行うということですか?

 

そうです。家庭訪問に担任が、対応の難しい家庭に一人で行くのはやっぱりつらいんですが、それよりは、チームで行ったりとか、校長が一緒にフォローしてくれたりとか、そういった関係ができていたら、全然先生の負担感が違います。また、子どもにとっても、ある先生とうまく合わなくても、他の先生と同じように接することができていれば、どこか逃げ場所があるかもしれないですね。

 

郡山小学校もそうだと思いますが、個別で先生が動くということはほとんどないし、ある子が課題を持っているとなれば、他の先生方も含めて、校内みんなが知っているので、そうして学校全体でその子を見ることで、結果的に教師の負担が減ったらいいなと思います。郡山小学校にしても、個別でやるよりはチームでやらないと、多忙さは倍増していると思います。

 

ただ、学校全体で行っていても、やはり先生方が超多忙なことは変わりないとは思います。なので、結局は人を増やすしかないと思いますね。その時に、専門家を入れることが言われますが、単純にフルタイムで動ける先生を増やした方が、絶対いいと思います。

 

そこで、力のある先生が、例えば「地域で連携担当」や「学力がしんどい子どもを支える担当」などで、学校の中心におられるのが強いと思います。

学校の中心になる先生を、担任外でおくという学校のつくり方が、もうこれから必要かなと思います。担任外で、弱いところがあればすぐぱぱっと動けるような形の先生が2、3人いて、学校を回していくということになれば、先生の負担感はましになるかなと思います。

 

_外部とコミュニケーションを取るにあたって、学校内部でコミュニケーションを図り、情報を共有することが大切だと思ったのですが、そのためには担任外の先生が学校全体を俯瞰して見ることが必要になるのでしょうか?

 

そうですね。そこにリーダー的な先生がいないと、チームにならないですからね。力のある先生のクラスはうまくいっても、他のクラスはどうかというときに、そこには全然触らない先生もおられて、そうじゃない方がいいかなとは思いますね。教員が増えないことが前提の話ではありますが。

 

_若槻先生の大学の研究も、小中学校から見ると学校の外部になると思いますが、「大学の研究が外部として小中学校に関わる」というコミュニケーションはどのような形で行われていますか?

 

新しい分野は学校に入りやすいんです。特別支援教育の視点が大事だとか、今まで知らなかったことは、特別支援の専門家の先生が行って話すと、学校の先生は受け取りやすいんですよ。ICTなどもそうですね。

 

ただ、今まで先生方がやっている授業作りなどのことになると、人によっては、大学の先生は現場を知らないから、ということを言う人も少なからずいらっしゃいます。それは実際当たっているんですよ。理屈で学校はこうあるべきだとか、校長はこうあるべきだとかっていう大学の先生も少なくないので。

 

そうではなく、学校に一緒にいて、学校の課題って結構様々なので、今学校が持っている課題がどう解決できるかということを、同じ目線で見れるような関わり方がいいと思いますし、僕はそうしているつもりです。

 

例えば、研究者が研究授業の助言者として、その日の授業を見て講評をするというパターンもあるのですが、そうではなく、研究授業の授業をつくるときに一緒に何回か打ち合わせをして、こんなふうにしたらできるかな、やってみてどうだったかなというのを一緒に考える方がいいだろうなと僕は思うんです。

 

昔は偉い人が来て講演を聞いているということが、研究授業の終わりにあったと思うのですが、今はそうではなく、今日の授業はどうだったかなというのを学校の先生とみんなで、考える時間にしていくという関わり方がベターではないかな、と思います。

 

_学校に外部の人が入るためには、学校の先生方の意思統一がされている必要があるのでしょうか?

 

はい、そういう面もあると思います。現場の先生と校長先生がうまくいっていない学校だったら、入っていくのは難しくなるはずです。ただ、校長先生が言ったら角が立つようなことを、研究者に言ってほしいというケースはよくありますね。

 

_学校の先生が同じ目標に向かうために大切なことは何でしょうか?

 

何かを一緒に取り組んでいくことが大切だと感じます。例えば、算数のある単元で授業を作ろうとなった場合、誰か一人で作るのではなくて、一緒に相談して作り上げる、といったことですね。その過程の中で色々なことのすり合わせができ、意思疎通が図れてきます。研究指定を積極的に受けている学校は、そこがうまくいっている場合が多いです。また、特に若い先生とベテランの先生が協力して一つのことに取り組むこと、問題を抱えた子どもに一緒に向き合うことは非常に効果的だと感じます。

 

_その協力の中には、学校外部の人も関わっていくことはありますか?

そういうこともあり得ますね。研究者はもちろんそうですし、学生も受け入れている学校も多くなってきています。オープンスクールのようなこと、つまり地域の人たちに授業を公開することを行っている学校も多くなっています。

 

_若槻先生のご専門は主権者教育関係ということですが、社会的・経済的に不利な立場の階層に属する子どもたちが、積極的な市民としての主権者に成長するために大切なことは何でしょうか?

 

繋がる力だと思います。具体的には、仲間に助けを求めたり、困ったことを伝えたりできる力、そして困った人のサインを読み取る力ですね。

勉強で躓いている子どもを見つけるのは、先生は得意ですね。でも、将来的には子どもは先生がいなくても自分で勉強していかなきゃならない。そこで、授業での子どもの発言をうまくかみ砕いて、先生は生徒に返していきます。これは、子ども同士をつないでいるんです。子どもがつまづいた点について子ども同士で聞きあい教えあうことで、繋がる力が鍛えられます。

 

勉強以外のことでも、例えばある子どもが悩みを抱えていたとすると、それを先生一人で解決してしまうのでは、繋がる力はつきません。そうではなくて、その子の悩みを他の子どもと一緒に考えていくことで、みんなで共感し、協力して問題を解決していくようなことが習慣化されていくと思います。そして、やがては先生がいなくても自分たちで協力できるようになるでしょう。このように、一人の子どもの言ったことを他の子どもが分かるように繋いでいくことは、先生の大きな仕事だと思っています。子どものときは先生経由で繋がっていたのが、将来的には自分たちで繋がれるようになる、ということを目指した取り組みは非常に大事ですし、そういったことをされている学校も多いと思います。

 

主権者教育、というともちろん社会のことを知ることも大事ですが、要は自分の思いを共有できる仲間を自分で作っていく力が一番重要だと思いますね。

_時代の変化の中で地域のコミュニティーが安泰ではなくなってきていることと、関連があるのでしょうか?

 

はい、あると思います。自動的に地域の一員だったのが、そうではなくなってきています。自由に人とつながりを持てる、もしくは逆に持てない時代になっているので、人と繋がる力というのは今まで以上に必要になってきます。

_その繋がりというのは、子どもたちだけではなく、外部の人とのものも考えられますか?

 

そうですね。主権者教育という観点では、そちらの方が重要かもしれません。地域の中で子どもが役割をもらって成長し、地域の方と繋がっていくというのは、主権者教育の重要なファクターだと思います。子どもは、特に日本では子ども扱いされますが、その年齢なりに子どもたちが出来ることはあります。

 

例えば、地域のいいところを見つけて発信していくということは小学校でもできるでしょう。もう少し上の年齢になれば、ボランティア活動をすることもできるでしょう。その他にも、地域のお祭りで役割をもらったりしながら、地域とのつながりも深めていくのがいいでしょう。そういった授業作りも見られます。

_フォーラムの中で、「学習習慣が一番学力と関係が深い」というお話がありましたが、学習習慣は一番何によって変わってくるものなのでしょうか?

 

もちろん一番重要なのは家庭環境だと思いますが、一方で学習習慣は学校が働きかけやすい部分でもあります。

2001年に日本の学力が低かったのも、学習習慣がついていない子どもが多かったから、というのが大きいです。その頃は、学校があまり「勉強しなさい」という働きかけをしていなかったんです。宿題の量も少なかったです。しかし、今では宿題とその提出をしっかりさせていることで、学習習慣が改善されてきました。少なくとも家庭でしっかりご飯を食べてもらうことよりは働きかけやすいですよね。

 

_最後に、今回来場できなかった方にも向けて、メッセージをお願いします。

一度でいいので、学校を覗いてみてほしいと思います。近くの学校でも、自分の母校でも構いません。

全員が過去学校に行っていたわけで、そのときのイメージで教育を語ってしまいがちです。メディアで見ている教育の姿は本当に現実を反映しているのか、自分の眼で実際に見て知ってほしいなと思います。自分が学校に行っていた時とは、だいぶ違っていると思います。そこで、子どもたちの様子も知って、自分たちが学校に行っていたことも思い出しながら、何か子どもたちのために出来ることを考えてほしいですね。

 

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