来場者からゲストへの質問回答


フォーラム終了後、フォームにて届いた質問に登壇者御三方に回答していただきました。

質問1


都市部での教育格差について疑問に思っています。


都市部で親の年収と子供の学歴が比例すると言われていることに納得がいきません。
なぜこんないびつなことになっているのか? 受験を高額な塾代で商品化し、受験を技巧的にとらえ、裕福な家庭の子が有名大学にはいる。商品を買うように大学に入ることに、本当の学力がついているとはおもえません。


試験に出ないところも勉強して全体を学ぶのだと思います。受験に出る出ないでなく、教養といいますか… 地方のお金のかからない効率の良い教育体制がフェアで、理想と思いますが、先生方ご意見はいかがでしょうか。

 

◎若槻先生
おっしゃる通りだと思います。

日本は、諸外国に比べて公教育にかけるお金が少なく、保護者負担の割合が大きな国です。結果、保護者の経済力(教育にかけようとするお金の量)が子どもの学力に大きな影響を与えています。そして都市部ほどその影響は大きいようです。

私も出身は島根県の中山間地でしたので高校は一つしかなく、ほとんどの中学生はその高校に行きました。以前は都市部でも総合選抜方式(※)などで公立高校の学校間格差をなくそうという取り組みも行われていました。しかし、私立高校に学力の高い生徒が流れるということで、現在総合選抜を行っているところはありません。

格差をうむとはいっても、保護者や生徒が、「よい教育」を求め、選択できることは時代の流れであり、また否定すべきことでもないかと思います。選択を制限するのではなく、どう選択しても子どもたちの将来が拓けるような学校づくりができればと思います。少ないかもしれませんが、そうした取り組みは全国で見ることができます。「本当の学力」が何かを追求して、生徒の力を育もうとしている学校の取り組みをこれからも発信していきたいと思います。

※総合選抜方式
高校入試制度の一つ。学区ごとに合格者を決め、居住地や学力によって平均的に各高校に振り分ける制度。
対になるものとして「単独選抜方式」があり、希望する高校を自分で選び受験する制度。

 

◎西矢先生

親の年収や労働時間、子どもと過ごす時間、子どもと向き合うことが生活に影響すると思われます。例えば一人親世帯だと比較的経済的に厳しい状況が生まれると思いますが、収入の影響以上に子どもへ関わる時間が減り、子どもに目が行きにくいことに問題があると思います。相対的に愛されている実感や自尊感情への影響が考えられ、学校生活でも自分をうまく表現できないことがあります。親の不在時間が長く、生活のリズムが不規則になることが多いですが、経済的な部分だけではかれない生き苦しさがあります。貧困は経済的な厳しさから自分に自信がもてなくなり、負のサイクルに入りやすく、その結果、学力向上にも影響が出ると思います。

 

質問2


私は昨年度まで支援の必要な児童のサポートを小学校で勤めていました。
その中で小学校に上がる前の6年間の子ども達を知る必要性があるのではないかと思い、現在は保育園に勤務しております。
そこで、質問です。 小学校に上がるまでに、園としてやって欲しいこと、逆にやって欲しくないことありましたら、教えてください。

 

◎若槻先生

よく言われるのは、集団行動ができるようにしておいてほしいということですが、私はそれ以上に、自分自身や周りの人、ものごとに対する基本的な信頼、肯定的なものの見方を育んでほしいと思います。その積み上げが、子どもたちが成長していく糧となると思います。また、園と小学校との交流でお互いを知ることや小学生が園児の世話をするなどの縦の関係でお互いが成長するチャンスをたくさんつくってもらえたらと思います。

 ◎西矢先生

まずはその校区の学校の実態をよく見ることだと思います。一概に言えない部分があると思います。本校では、幼稚園の公開保育を大半の職員で参加します。実際にどのようなことを日々されているのがよくわかり、幼小の連携には大きな効果があると思います。幼稚園から学ばせてもらっています。例えば、視覚支援の方法、ルール、声かけ、文字化するところとしないところ、掲示物、保護者対応など現場からの学びはすぐに日々の実践に活かすことができます。幼稚園でやってほしいことは絵をかいたりするときに鉛筆の持ち方や箸の持ち方などをたのしく遊びながら教えること。数字の概念が育ちやすいように体験活動をするときに数字を意識すること。ひらがなカードで音と文字をつなぐこと。情操教育で感情を豊かにする経験を豊富にすること。コミュニケーション力の向上や丁寧に気持ちを聴いてあげること。などが挙げられます。

保幼小の垣根を低くすることが目的だと思うので、校区の大人が顔を合わせながら、子どもを中心にして話すことが一番の近道だと思います。

 

質問3


日本語支援が必要な児童には、どのようなことを行うべきですか?
また、注意するべきことは何ですか?

 

◎若槻先生

あまり専門でないので一般的な回答になりますが、次のようなことが挙げられると思います。

・日本語指導の教員を配置する
・「生活言語」と「学習言語」を区別し、日常生活に支障がない児童生徒が学習言語の習得につまずいていないか気を付ける。
・子どもが日本語を話せても、保護者はそうでない場合があるので、保護者との連絡を大切にする。
・文化の違いを尊重する。

◎西矢先生

・その国の文化を知る。

・通訳をつける。

・その子の日本語力が生活言語レベルでどこまでなのかを知る。

・予習的な内容を抽出授業などで取り組む。

・その子が自分のルーツに自信を持てるようにする。

・周りの友だちとの関係作り=友だちとの会話が語学力獲得の近道

・日本語で教える。

※抽出授業

⇒個々の教育的ニーズなどを鑑み、一時的に教室外での、個別、もしくは少人数での指導を行うこと。

 

質問4


教育格差の問題には平等権も絡む問題だと思っています。 小学校、中学校は義務教育とされているため、金銭的貧しい家庭は援助されるべきだと考えますが、習い事や塾などに関しては経済的格差が顕著に表れます。


この経済的に困難な子供に対してだけ小学校や中学校が援助することになれば公的な平等が損なわれるのではないかと思います。また、身体的に不自由な子供が通う特別支援学級や学校が十分に確保されていない現状も公的平等に反すると思います。
教育格差とこの公的平等についてどう考えていくべきでしょうか?

 

◎若槻先生

平等権を形式的平等から考えるか実質的平等から考えるかによって対応は変わってくると思います。これまでの日本の教育は、形式的平等をもとに設計されており、一人ひとりの個性や社会経済文化的背景に考慮することなく同じように処遇してきました。教師の振る舞いもそうですし、経済的な支援についても同様です(就学援助などありますが)。

しかし、私は、形式的平等は、社会の不平等を学校教育および子どもの業績に反映させることにつながると考えます。100m走で最新のスパイクを履いて走る子どもと重石をつけて走る子どもの競争はフェアだとは思いませんが、現在の学校教育はそういう状態になぞらえることはできないでしょうか。経済的に困難な子どもに対しての支援とは、競争をフェアにするものと考えることができます。

ただ、学校の先生は、経済的に困難な子どもにのみ手あつい支援をしているわけではありません。困難を抱える子どもたちすべてに手厚い支援をしようとしているのですが、そういう子どもたちは経済的に困難な家庭の子どもが多いということです。

そして、そうした子どもたちが多い学校は、困難も大きくなります。私としては、経済的に困難な家庭が多い校区の学校には、今まで以上に教員を多く配置する、スクールソーシャルワーカーを配置するなど特別な(合理的な)施策が必要だと考えます。

◎西矢先生

しんどい家庭に少し多めの支援が行われることが教育の機会均等を保障することだと考えます。うちの校区はしんどい家庭環境、厳しい学力実態があるので、茨木市から予算を傾斜配分してもらい、他の学校よりも多く職員が配置されています。人的な支援、経済的な公的支援は学校では大きな効果を生みます。これこそが機会の平等かなと思います。子どもたちへの指導も子どもの生活背景や特性に応じて変わります。何でも平等にして、一辺倒にすることが効果的だと思えません。

質問5

私は昨年度まで支援の必要な児童のサポートを小学校で勤めていました。

その中で小学校に上がる前の6年間の子ども達を知る必要性があるのではないかと思い、現在は保育園に勤務しております。

そこで、質問です。 小学校に上がるまでに、園としてやって欲しいこと、逆にやって欲しくないことありましたら、教えてください。

 

陰山先生

保育園の間に生活習慣を整えて、体の中の時間感覚をしっかり作ってあげてください。それによって、夜にぐっすり眠れる状態に導いてほしいです。睡眠力は、生まれつきではなく、生活習慣によって伸びていく力です。特に保育園時代、この能力の基礎ができます。 ぐっすり眠れないと、日常生活でトラブルに悩むこともあり、それで脳に様々な問題がたまっていきます。そのような時、幼児期に睡眠力がついていれば、その問題を取り除き、疲れを癒すことができます。

つまり、保育園の間にやってほしいのは、「しっかり睡眠できる力を身につけさせること」です。子どもが大きくなっても、ぐっすり眠れる状態にしておいてほしいです。それから、そのためにしっかりと外遊びをさせて、体全体を使って子どもたちを伸ばしてやってほしいです。

逆にやって欲しくないことというのは、「子どもたちに変に圧力をかけること」です。しつけは非常に大切なことですが、例えば「そこに座っていなさい」と命令してプレッシャーを与えてやらせても、なかなかうまくいきません。声のかけ方を工夫することで、子どもを「きちんと座ってもいいかな」という気持ちにさせる方が良いと思います。だから、子どもがやらなければならないことは様々あるけれども、それを子どもが心地よくやれるような工夫をしてほしいです。心地よいことは継続ができますが、心地よくなくてやりたくないことは、やらなくなってきます。

似たような話になりますが、勉強好きな子は、幼稚園、保育園、あるいは小学校低学年の間に、心地よく学習する習慣を身につけられる環境が与えられているのです。親に言われて無理に勉強させられる家庭の子どもの方が実は学力が低く、伸びないのです。何をさせるにも、「心地よさ」というものを子どもたちに提供してあげてほしいです。要するに、苦労させれば苦労に耐えられるというものでは実はないということです。

 

質問6 

陰山先生へお聞きします。

お三方のお話を聞いていて、行政が教育予算の拡充をすれば教育格差の問題を大きく解消できるような印象を持ちました。もちろん、お金だけかければ良いものではないと思いますが。

行政を動かすにはどれ程の時間がかかるとお考えでしょうか?

また、その他のアプローチ方法はあるのでしょうか?

 

陰山先生

教育予算を拡充したいと言っている人を選挙で投票することです。備前市ではすでに、全教室に電子黒板を配備しています。

しかし、ただ導入するだけでは意味がなく、その導入したデバイスを使えるノウハウがあって初めて成果が出てきます。逆に導入しても良い結果が出ないという事態になれば、「教育にお金をかけてもダメだね」「電子黒板入れたって何の意味もない」という論の展開を生み出してしまうことにもなります。

だから、子どもたちを伸ばしていくには、良い結果を出さなければならないのです。時間の問題ではなく、小さくても良い事実を行政とともに作り出すということが大事なのです。

今の私の場合でいうと、福岡県飯塚市の学力向上がそれに当たります。これは今、非常に成果をあげていて、メディア2社が取材をしてくれました。この取り組みが一つの大きな話題になるかなと思います。このような具体的な事実が出てくると、一気にその実践を広めやすくなります。やはりそういう点では、「予算を有効に使い、先行する確実な結果を出し展開していくこと」が実は一番の近道だと思いますね。私たちにできることは、このようにやってくれる人をしっかり思考して選挙で投票することです。

 

質問7

先日は、貴重なご講演ありがとうございました。

最後に見せていただいた、福岡県の小学校のビデオで小学生が古文の音読をしていましたが、彼らは古文の意味を分からずに、ただ音読しているように見えました。

意味を分からずに音読をさせることに、教育的な意味はあるのですか。

よろしくお願いします。

 

陰山先生

意味も分からずに音読させることに学習的意味はあります。声を出して読むことによって脳は非常によく動き、同じことを繰り返していくと、文章全体をとりあえず暗唱してしまいます。その時、子どもたちに少しずつその文章の意味を教えると、すぐに頭に入っていきます。さらに、小さい頃に何度もやったことは頭から離れにくいため、忘れようと思っても忘れられません。例えば、高校に行って「春はあけぼの」と授業で聞いた瞬間、「ああ、小さい頃にやった!」となります。しかし、それを初めて聞いた生徒たちは、難しいものだと感じます。この差は非常に大きいですよね。

だから、難しい内容のものであったとしても、先取りして音読し、時には文章を丸暗記してしまうことは、理解の効率性をものすごく高めることになるのです。

ある雑誌で、東大法学部を首席で卒業した弁護士さんの勉強法を紹介していたのですが、それは教科書を7回読むというやり方でした。まずは理解するよりも触れることが大事です。それで、本格的に学び始めた時にすっと頭に入るようになります。おそらくその子は東大にいくような子なので、3回読んだあたりでだいたい理解できていたのでしょう。7回も読んでいくと、理解できる言葉もたくさん出てくるわけだから、教科書の内容も何となくは分かるわけですよね。

勉強というものは先生に始めから教えてもらうものだ、という考え方自体が実は間違っているのです。勉強しなければならない内容が100あるとしたら、たとえ30であったとしても、事前に内容に触れて理解しておけば良いわけです。後で勉強しないといけない内容が70に減るわけですからね。非常に後々の学習効率を高めています。

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