【取材】苫野一徳先生


*インタビュー概要

フォーラム終了後、苫野先生にお話を伺いました。

ヒトやモノの移動や交流がさかんになっているグローバル化時代において、「いかに多様な人々との関係を構築していくか」というのは重大な問いの1つであると言えるでしょう。

今回のインタビューでは、グローバルから親子・夫婦間、はたまた対立する宗教間まで、お互いの自由を認め合う関係性を構築していくにはどうすればよいのかを、教育哲学者の視点からたっぷり語っていただきました!

 

***今回のフォーラムが終わっての感想をお聞かせください。

*すずかん(鈴木寛)さんとお話で来て光栄でしたし、グローバル化というテーマもすごく重要だけれどもなかなかその本質がしっかりと浸透していないものなので、今回登壇させてもらってとても嬉しかったです。

 

***鈴木寛先生とのパネルディスカッションはいかがでしたか?

とにかくヴィヴィッドですよね。いろんなものを経験されてきて、酸いも甘いも、明るいところも暗いところも全部知り抜いてこられた方だから。改めてすごい方だなと。

本は学生時代から読んでいて、その頃からぜひお話ししたいなあと思っていたんですけど、僕は普段あんまりコミュ力高いほうじゃなくて(笑)。すずかんゼミとかそういうと

ころに乗り込んでいくようなタイプじゃないので、こういう機会をいただけたことは本当に嬉しかったです。

 

***鈴木寛先生とどのような話をしたいと思って、このフォーラムに臨まれたのでしょうか?

テーマは「グローバル化」「人材」という話だったのですが、そこを超えて、具体的な政策構想について、頭の中にあることをお聞きしたいなと思っていました。これからも教育構想、教育行政・政策のキーマンになられる方だと思うので、いったい何を考えてらっしゃるのか、と。今回ちょっとテーマとずれるので、あんまりつっこむのもあれかなという気持ちもありましたが(笑)。

フォーラムでは実際に大学入試改革とか、これからどうするのかとかを聞けて面白かったですね。すごく貴重な話だなと思いました。僕は基本的にかなりすずかんさんと考えが近くて、影響を受けているところもたくさんありますし。ぜひ、ささやかながら学問的に、応援というか、ほんの少しでもお役に立てればなと思いました。

 

***今回のフォーラムのテーマは『グローバル化×人材』でしたが、グローバル化時代になぜ「自由の相互承認」をより高めるための教育が必要になるのでしょうか?

フォーラムでも言ったんですが、グローバル化するってことは、それだけ多様で異質な人たちと摩擦を起こす可能性が高まる。で、哲学の1万年の歴史を通した知恵っていうのは、「いかにそのような摩擦をなくしていくか」。そのためには自由の相互承認しか、考え方の根本はないだろう、と。これはやっぱり非常に優れた知恵だと思うんですよね。グローバル化すればなおのことこれが重要になってくるという感じですね。

 

***苫野先生は「自由の相互承認」を高めるために学校でできることとして、教室の中での子どもの流動性を高めるということを挙げられていました。では、学校外で何かできることはありますか?例えば、家庭内でできる取り組みや、学校を卒業した社会人に対する取り組みについてお聞かせください。

僕はあんまり個人でああしろこうしろって言わないほうがいいんじゃないかなっていうのが基本なんですけど、あえて言うなら、行き来できる「多様なコミュニティをもつ」っていうことだと思うんですよ。ここが苦しくなったら逃げられる場所を、意識的に見つける、っていう。限られたところだと、お互いに苦しめあってしまうことがある。ニーチェが「愛せない場合は通り過ぎよ」と言っているんですが、愛せないのにずっと一緒にいて、結局戦いになるよりは、通り過ぎられるようなマインドとか社会構造みたいなのが必要かなと思いますね。

 

***「愛せない場合は通り過ぎる」、と。

愛せないのにずっと一緒にいて、ギスギスして、殴り合いになるんだったら、通り過ぎるのも一つの相互承認なんですよ。その存在は認める。攻撃しません、と。存在は認めるけど、あまり関わりはしませんというような、そういうのがちゃんとあれば、変に相手を攻撃しようと思わないじゃないですか。だからそういう余裕をもてるように、いろんなコミュニティを持とうって考えることが、学校以外でも重要なんだと思います。

 

***では、親子関係や夫婦関係など、「通り過ぎる」のが容易ではない状況の中ではどのようにしたらいいでしょうか?

それが1番難しいんですよね。僕も学生と関わっていますが、親子関係で悩んでいる人は多いです。彼らの逃げ道として、親と一緒に住んでいるのであれば1人暮らしをするということが挙げられると思います。しかし、お金がかかるという理由で1人暮らしができず、結構苦しい思いをしている学生もいます。そのような時は、なんとか親と自由の相互承認関係を作ることが大事なのですが、うまくいかないときもありますからね。夫婦関係と親子関係でも、ルールを上手に作っていくことです。

グローバルに世界中の人と仲良くするということよりも、実は身近な人と仲良くなることが実は1番難しいんです。特に、家族や夫婦だと、「分かってくれて当たり前」のようになってしまう。「なんで分かってくれないの!」というような感情的な戦いになることが多いんですよね。だから、感情で戦うのではなくて、その「分かって当たり前」の部分をしっかりと理解して、自覚して、ルールにするということが実は重要なんです。

「私はこんなに疲れているのに、なんで皿を置きっぱなしにしてるんだ!うちの旦那は!」というふうになるのではなくて、こういう時は旦那が皿を洗うんだ、などのルールを作る力というのがやはり重要ですね。そのためには、学校教育の中で対話を通じてルールを作り合っていく、という経験をした方が良いなと思います。家庭や親子は難しいですからね。究極的に言えば、家庭や親から離れられるような自立できる支援を若者たちにしていく必要もあると思います。例えば、若者に年金を給付する、というようなアイディアもありますよね。

 

***家庭のお話についてお聞きしてきましたが、対立する宗教間においても、自由の相互承認や共通理解を得ることはとても難しいことだと思います。そのように宗教的に相容れない場合、お互いの自由を承認するためにはどのようにして行けばいいのでしょうか?

これは歴史的には起こってきたんですよ。キリスト教のカトリックとプロテスタントも、殺し合った末にお互い認め合いましょう、ということになった。凄惨な争いをしたら、必ず相互承認関係というのは歴史的に生まれるんですよ。あまりにも殺し合いがひどくなると、ルールを作る。信教の自由を認め合いましょう、という話になるんですね。

イスラム原理主義などがありますけど、歴史的に見れば、これもちゃんと条件を整備していけば、ある時から相互承認しましょう、という方向になるんですね。あるいは、なるようにしなければいけないんです。しかし、そこで逆に反イスラム主義みたいになると、ますます反発するわけですね。

だから、いかにしてお互いを認め合えるかという方向を探ることが重要になります。そして、これはできるんです。ヨーロッパの歴史を見ても、カトリックとプロテスタントは30年戦争で殺し合いましたが、最終的にウェストファリア条約が結ばれました。

 

***グローバルに生きていくために海外でボランティアなどをしよう、といった文脈でグローバル化が語られている時があると思います。このように、海外の方に目を向けすぎて、逆に身近なところに目を向けられていない面があると思うのですが、どのように思われますか?

本当にそう通りだと思います。身近が一番難しいんです。外国との関係だって中国や韓国などの近い国との関係の方が難しいのであって、それはつまり感情が先走ってルールが後になってしまっているからなんです。先ほども言った通り、ここでもルールを作るというのはとても重要なんですよね。

だから、モラルだ、モラルだ、と言っていますけど、重要なのはルールなんですよ。モラルは人それぞれ全然違うから、ああいうモラルを持て、こういうモラルを持て、と言ったら、フォーラムの中でも言ったような「徳の騎士の戦い」[i]になってしまうんですよね。そうではなくて、モラルは少し置いておいて、いかにみんなが気持ちよく暮らせるルールを作るかという発想が、一番重要なんです。それは、グローバルだろうが、ローカルだろうが、ナショナルだろうがなんでもそうなんですよ。

 

***貴重なお話、誠にありがとうございました!

 

 

[i] 自分の考え・価値観を一般化して他人に押し付けること

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